16歳だった高校生。進路を決めないといけない春ごろ。空を見ながらこれからの人生について珍しく考えていたことを今でも覚えています。

当時、窓際に座っていた教室から見える空を見上げてながら考えていました。高校生なのに中二病じゃないですか???
もっと広い世界を見たい。
裕福な家庭に生まれたわけではありません。むしろその逆。お金はない家庭と言えるでしょう。そんな家に生まれた私です。
ですが不満があったわけではありません。
昭和後期。母は40歳を超えた時に私を産んでくれました。そして父も40歳を超えています。一生懸命働いて育ててくれました。不自由なく。そう言いながら若いとは言えない年齢の時に必死で育ててくれました。
今、私が親の立場になっていえる事は感謝しかありません。
もちろん贅沢が言える環境ではありませんでしたが、とても大切に育てられていたのを感じています。
それでも思春期でわがまま言いたい放題の頃。親に相談もせずに自分で決めて大阪の専門学校へ進学。
反対を押し切り、学費と生活費だけをお願いして勉強すると言いながら遊んでいた学生生活だったように思えます。
今思えば親不孝極まりないですよね。
そもそも。産まれてきたことが奇跡だったのかもしれない
生命の神秘。産まれるという事はすべてが奇跡とは思っています。さらに人間として産まれてきたことは奇跡でしかありません。
そんな生命の神秘でも様々なストーリーがあると思います。私の母は心臓に疾患を持っていたそうです。長くは生きられない身体と医者に言われていたらしく、母が小学生の頃ではまともに運動や勉強をさせてもらえなかったそうです。
重い病を持った母。先生も怒るよりも好きにしていなさいという感じだったのでしょう。
まぁ、両親のなれそめ話はあまり聞いたことはありませんが、共に暮らすようになり約20年ほどでしょうか?ずっと子供が出来なかったとのことですが、何の因果かなのか。40歳を過ぎてまさかの授かり。

バカ息子誕生と言う奇跡が起きたのです。
そりゃーもう大切に大切に育てられました。
甘やかされて育った結果はもちろん大変なバカ息子だったという事なのですが、私も40歳に近づいて私もついに父親になったのです。
両親もありがたいことにまだ健在。80歳オーバーの爺婆をやっております。

孫の顔を見せれたことが本当に良かったと思える。
両親が未だに語るわがままエピソード。
そんなことに誰が興味がるねん!と思うかもしれませんが、まぁ聞いてください。
- 幼少期には母親のつながりで重度の障がいを持つ子供と遊んでいたエピソード。
- 小学校の頃、仲良くしていた子が心臓の病で亡くなってしまう。少しだけ遊んだ記憶。
- 謎のピアノ、謎の教育PC、謎の教育カリキュラムでたくさんお金を使わせた想い出。
- 慣れない仕事も一生懸命こなす父。70歳を超えても働いていた日々。
- 私の強烈に記憶に残っている知的障がい者の右パンチで泣いたあの小6の昼。
- 周りの家庭に馬鹿にされないように昼夜も関係なく働く母。。
- 生活費の為に父に黙って消費者金融に。自分ですべて完済する母。
- 部活に明け暮れた中学の頃馬鹿な私。
- 共に部活で汗を流した友人の死。
- 謎の進路を叩き出す馬鹿な高校生の私。
- 年老いた両親のスネをかじりまくるダメダメ専門学生時代。
- 成人手前の色恋沙汰の菓子折系トラブル。
細かく思い出していくともっと出てきますが。お世辞とも優秀と言えないクソガキです。

産まれてこない方が苦労なかったんじゃない?と思いませんか???
それでも母親は言うのです。
あなたが居てくれたからこそ今がある。
父親は何も言いませんが、ずいぶんと苦労してきた人生にしてしまいました。
本当に感謝しかありません。
今もなんやかんや喧嘩しながら二人で過ごしています。
もう50年くらいになるんじゃないでしょうかね?いや。。。60年かな???
正直、もう年老いてしまっています。あと何年生きてくれるかもわかりません。
それでも元気にしてくれています。
親との時間を大切にしたい。そう思っています。
本当に感謝。
2021年中にはどこかへ思い出作りの旅行へと行きたい。
自分の人生。半生を改めて考えてみて思った事。
私は幼少期から比較的おとなしい子供だったと言われています。優しい子とも表現されていました。

優しいしか言われたことないんですよ。
活発、リーダー的な、ヤンチャ。そんな要素は全くありません。
一人っ子なので兄弟間の争いごとも知りません。保育所でもご飯もゆっくり食べるタイプ。

思い返してみると、ハンディキャップのある人と関わる事が多かったなぁ。
私が社会に出る頃には様々な知的障害や鬱病といった精神的な病が認定されてきたと思います。気合と根性で乗り切っていた昔と違い、現代ではすべてがコンプライアンスです。
そして、SDGsなど細分化されより社会が差別について厳しくなってきた頃。大きな転換期が令和なのではないでしょうか。
例えば
- 新型コロナウイルス感染症によってすべての生活スタイルが一変。
- 世界的に広まり多様化するLGBTQIAの思想。
- PDSDやADHDを始めとした様々な心の病気認知。
日本での沈黙した平成では気づかなかった世界の変化。ようやく日本も理解をし始めてきたきっかけはインターネットの普及であることは間違いないと思います。
ブログを始めた経緯
ブログを始めたきっかけは世の中が新型コロナウイルの影響を受け始めた2020年11月頃。私の場合notoと言うブログサイトからきっかけとなりました。

でも、ブログで収益を得れることに気づいたのはたしか専門学生の頃でした。ただ働きたくなかったんですよね。
パソコンを始めたのは高校生。当時高額だったNECミニタワー型とブラウン管ディスプレイ。恐ろしい金額だったと思います。クソガキのわがままで、親には頭が上がりません。
せっかく買ってもらったPCではゲームやメール、多少のプログラミング。当時流行ったチャットを「テレホーダイ」で23時から朝8時まで知らない人と交流し続ける。ネットでは誰とでも話せる根性があったことに驚いています。
そして専門学生の頃にアフェリエイトと出会います。2005年くらいでしょうか?走りと言われる頃だと思いますが、全く稼ぎ方もわからないまま案の定すぐにやめてしまいました。

今より閉鎖的な環境でしたからね。アフェリエイト業界。
そのまま頑張っていれば今では大変なことになっているのかもしれませんが、全く稼げるというイメージがわかなかったのです。ブログの書き方も適当な雑記。広告を貼って利益を得る仕組みすら理解できていませんでした。
それから数十年。またブログを始めることになったのです。
当然、趣味ではありません。ちゃんとしたビジネス。収益目的のサイトを目指します。
一歩ずつ進み続ける。そしてやめない決意。
その背景には猛威を振るう新型コロナウイルス感染症がトリガーとなっています。

歴史の転換期と言えるでしょう。100年後には語り継がれる波乱の時代。
飲食業に従事する者をはじめ、店舗、流通、メーカー、生産者。すべてにおいて新型コロナウイルスの影響はすさまじいと思います。全世界でウイルスの脅威が収束するのは今の段階でもわかりません。
そして、ウイルスが収束しても生活が元に戻るまではより長い時間がかかる事でしょう。もしくは、元に戻らないかもしれません。
転職活動や副業、パラレルワークなど飲食業界から離れる方もたくさんいらっしゃいました。私もその中の一人です。収入が減るけれども、新しい挑戦をしなければ生活が成り立たない。給付金や助成金ばかりを頼っては生活はできないのです。
転職活動も飲食業界は特に厳しく求人は皆無。なんせ店舗営業が国に止められますからね。経費削減にはまずは人件費になります。誰もが我が身大事。身を滅ぼしてまで他人を助けようとする聖人は少数派。上っ面はそれっぽいことを語り納得させて去っていくように仕向ける企業も多く存在しました。
飲食業を長年している我々が他業種への転職活動はうまくいくはずがありません。社会はリモートワークを推奨していますが、実店舗やエンターテーメントは虫の息です。
確かにリモートワークはテクノロジーの進化により働き方改革の要。人の動きを抑制する要素からウイルス対策にはもってこいです。ですが、相性の悪い業種にはできません。

私たち職人と言える職種がPCに向かって何が出来るか。
スローライカー。それはこれからの働き方の基準となる考え方

生活が一変した時期とも重なりました。
サービス業25年のソムリエがホテル業界での長時間労働から脱出し、違った働き方を探しながらパラレルワークを実験検証。
飲食業界は基本的に長時間労働だと私は思っています。日本全ての企業で働いたことは無いので、労働基準法に定められた勤務時間内のホワイト企業もあるかもしれませんが、私はそういったところを知りませんし、飲食関係者の友人や同僚に聞いてもすべてがブラック企業と言われる業種でした。
私は長時間労働が悪いとは言いません。なぜなら実店舗運営には営業時間があり、飲食店は基本的に昼と夜。ホテル旅館に関しては朝昼夜の営業時間があります。営業する時間がある以上、人材は必要ですよね。しかし、人材や財源を確保できないので掛け持ちになるのです。
つまり、飲食業は労働時間は1日で基本12時間だと考えています。

11時から21時まで営業したとして10時間。準備と片付けで前後1時間。これでも短い見積もり。
この法則を崩すにはどうすればいいでしょう?
- 人員を増やす
- 営業時間を減らす
経営者の立場でどちらを選びますか?どちらも選びませんよね。なぜなら経費が増える、売り上げが減るからです。経営者として売上が減り、利益が減る事は許せることではありません。
飲食業界は性質上、必ず長時間労働です。
独身の時はそれでも良かった。20代は仕事を頑張っている自分に酔えてたり、それがカッコいいと思っていました。30代では役職も付き、偉くなった気分になって気持ちよくもなります。
しかし、結婚したり、子供を授かり、家族との時間を増やそうとしたとき。飲食業界では私の理想とした時間の使い方が不可能と言う結論に達しました。
私の考える子育て、教育は小さい頃に出来る限りともに過ごしたい。誰もが思う事なのかもしれませんね。しかし、実際に出来ている人は日本では少ないと思いませんか?
世界に比べると日本人は働き過ぎなのでしょうか?

働き方改革ラボの労働時間についての記事「日本の労働時間は世界より長い?日本の残業がなくならない理由と対策とは?」を見てみると、日本の短期労働者以外の男性は世界ナンバーワンでした。
働くことがNGとは思いません。ただ、一つに依存する働き方だとどうしても長時間になってしまうところが日本の悪しき伝統なのでしょう。
家族との時間を作るにはどうすればいいかを考えました。
結論。複数仕事を持つことで分散する事です。
複数の収入源を構築する。
ビジネスには二つの種類があります。
- ストック型ビジネス
- フロー型ビジネス
根本的にはこの二つに分類されます。例えば、ストック型だとアフィリエイトや株取引なども分類されます。フロー型は物販や企業に属するなども含まれていきます。ほとんどの人がフロー型で生計を立てているのではないでしょうか?
そんなの簡単にできるわけないでしょ!そんな知識も経験もありません!
ごもっともです。
でも、決めつけないでおきましょう。なぜならやらないといけないのです。出来ないではもう済まされる時代ではない。
さて。ここからが本題です。

本当に今の働き方で家族を養うことが出来ると思っていますか???
働き方の転換期
トヨタをはじめ、日本大手企業が続々と終身雇用をネガティブにとらえています。終身雇用制度は崩壊したと言っても過言ではありません。
平成初期までは企業に属するという事は安心感のある時代だったかもしれませんが、平成中期から社会保険制度に陰りが出始め、平成後期には年金2000万円問題で話題になったこともありましたね。
日本は少子化問題は解決する事も出来ず、働く人材が減る事で企業は確実に衰退します。銀行をはじめ大手企業のように合併を繰り替えす以外生き残る術がありません。日本を支えた自動車産業もいつかはかもしれません。

すべて負のスパイラルで落ちるところまで落ちました。
だからと言って頭を抱えていてもダメ。何もせずに同じように働いていても悪くなる一方です。
ビジネスを組み合わせることにより、効率よく収入を増やす事が可能な時代です。さらに、収益モデルを分散させることでリスクマネージメントにもなります。
これからの働き方は一つにこだわるのではなく、手段として様々な業種を渡り歩いていく柔軟性と俊敏性が重要になってきます。
どうすれば今の働き方を変えることが出来るの?
それを解説するのがスローライカーのブログです。
選ばなければいくらでも働くことは可能です。フロー型でも、ストック型でもどちらでも職に就くことはできます。
ただ、今までのプライドがあるからこれは嫌とか、やりたくない仕事だ!とか、簡単に!とか、楽に!時間をかけずに!。そういった類の事は捨てましょう。

何事も慣れるまでは時間がかかってしまいます。家族と時間を過ごすためにサービス業を辞め郊外に引っ越したのに何でまた働かなきゃいけないの!?!?
そう考えてる段階ではありません。そのまま行けば・・・
老後一人で過ごす事になりますよ。
今が頑張り時。今を乗り切る事で20年後の笑顔があります。
下手でもいい。不器用でもいい。それでも前に進むように頑張りましょう。年下に顎で扱われるかもしれません。汚い仕事もしないといけません。慣れない記事を書き続けなければなりません。
ですが・・・。

その努力が未来をつくってくれます
今からでも遅くはない。やるかやらないか。それだけです。
私の小さい頃からのお話。

熱く語るのはいいけど、そんなにできた人間じゃないでしょ私。。。
そう。ここで私のダメダメ人生を振り返りましょう。こんなやつでもなんとか幸せに生きています。
ゲームやアニメで育った田舎の一人っ子。電気機器の配線や機械の分解が好きでした。小学生の頃はVHSを2台繋いでアニメをダビングをしていました。アナログ配線するのが好きだったんですよね。
工業高校で機械を学びながらプログラミングの勉強し、当時流行ったポストペットを行いながらブログ作成したこともあります。
高校時代に音楽に目覚め二十歳までは音楽で飯を食べると意気込んでしまった結果、また親に無理を言って大阪へ専門学校へ通うこと。親には悪いことばかりしてきました。

ホント無理な事ばっかり言う世間知らずのひよこさんでした。
音楽で飯を食べることはできず、当時バイトをしていた飲食店で就職。ホテルをはじめとするレストラン、結婚式のゲストハウスを渡り歩いてきました。
そんな私ももうすぐ40歳です。現場仕事のサービス業は体力が必須。30歳になった時に思ったのが、「このままでは体を壊す」でした。若いうちは大丈夫かもしれませんが、歳を重ねるごとに疲れはなかなか取れません!衰えは急激に来ます。笑
「取れる資格は取っていけ」と言う父の教え。食っていけそうな資格を選び取ったのが調理師とワインソムリエ呼称。工業高校で取得した危険物取扱者やボイラー技士などなどもありますが一切使っておりません。自動車の運転免許が最強です!
2010年くらいから企業に属して生計を立てることの限界を感じていました。その頃、副業はたくさん手を出しました。一番初めに行ったのはヤフオクです。立派な副業!
その他、FXなどの投資と言う名のギャンブルを浅はかに試すも、リーマンショックの大波の飲まれて失敗。せどりと言う手法も知り、AmazonにてFBAをしてみましたが、正直ライバルが増えすぎて利益は思った以上に上がりません。FBAこそ膨大な作業量が必要です。
2020年、世界が新型コロナウイルスによりパンデミックとなったおかげで奇しくも壊滅した本業のサービス業。このままではいけないという事で、PCを使った稼ぎ方を今一度、超本格的にスタートしたのです!
郊外の暮らしの素晴らしさを伝えたい。
僕は昨年まで神戸の4つ星シティホテルでソムリエとして働いていました。忙しいながらも日々仕事に追われ、昼ご飯ももままならない過ごす毎日でした。
接客とは、ホテルマンとは。たくさんの先輩たちに教わったことを実践しながら後輩へ伝えていく。そして、ホテルにお越しのお客様とお話をして非現実へのおもてなしを・・・。そんな日々が私は好きです。
ですが、家庭を持ち、子供が生まれた時。毎日の12時間を超える働き方に疑問が生まれてきたのです。
この生活では子育てができない。

上司が長時間労働大好き人間だったのも大変でした。
僕のマインドが大きく変わりました。変えてくれたのは子供の存在です。
現在は神戸市内の郊外の広い空の下で生活しています。元々田舎暮らしの私は、都心での生活は教育にも健康にも影響すると考えがありました。静かな環境でのんびりと暮らしております。

シンプルにお金はないですけどね!笑
近年は自然と郊外の暮らしが話題が増え、都会ではなく人生を快適に過ごす郊外の暮らしが注目されています。田舎暮らし=スローライフと言うイメージが強いかもしれませんが、郊外と田舎は実は全く違います。
地域の特徴を取り入れ、自然があり、時間と環境と心にもゆとりを持った生活。個を豊かにする教え。インターネットを使い世界との違いを感じながら生活をしています。
我が家は新しい郊外生活を2020年から始めました。新型コロナウイルス感染症萬栄の時期と偶然にも重なりましたが、郊外での暮らしを選びました。
郊外にホテルマン、ソムリエは正直必要ありません。笑
ですが、少しでも社会に貢献できるような発信をしていこうと思っています。
Torido-Factory-Story
Toridoとは母方の旧姓そのままです。珍しく性名だと思いませんか?国内でも少ないので残したいと思いプロジェクト名にしました。Factoryは製作所という意味。
漢字で書くと、鳥堂製作所。ToridoFactoryには夢があります。
少しだけ夢を語らせてください。
スローライフを追求する夢。それは決して田舎暮らしという意味ではありません。
時代の変化とテクノロジーの進化、行政や企業のビジネスモデルを変化への活動が活発なりました。
2010年頃からくすぶり始め、2016年にようやくToridoFactory。私の心の中で立ち上げました。年月が経った今、ようやく活動を始めることが出来ています。
新型コロナウイルスの影響で世界が変わった結果。奇しくも仕事を奪われ、何もしない時間、考える時間が出来ました。
今までが当たり前だと思っていた働き方が出来なくなった現代。これからの生き方を考え直さなくてはいけません。
家族を養い、心にゆとりを持った生活。未来に向けた柔軟な考え方。個性を大切にし、子供を中心に人間を大切にした生き方。
点が線になったのが2020年です。
僕には人生で悩んだ時に教えを説いてくれた大切な人がいます。
育ててくれた両親。相談役のパッパのおっちゃん。神戸での道しるべとなる謎の歯医者さん。ソムリエと人間を教えてくれた師匠。そして嫁と子供。今まで深くかかわってくれた数少ない友人たち。
ターニングポイントと言える時に言葉をくれた大切な人達です。
そんな皆さんに恩返しをしていきたい。
そして社会をよくするように何か貢献していきたい。
そう考えています。